お前は何を成し遂げた?と悩む。
僕は子供をよく《諭す》。
こうあるべきだ。
やるときはやれ。
今しないと後悔する。
書き出したらきりがない程、僕は子供を諭している。
自分の経験をもとに、自分が歩んだ人生感をもとに、
僕は子供を諭している。
自分が感じてきた何かを子供に伝え、子供を僕が考える正しい方向へ
導こうとしている。
失敗してきた世界を経験談として伝え、今があるのはそのおかげだと
大きく振る舞う・・・
何かを成し遂げた人は、その「ありかた」を言葉で伝えるのだろうか?
言葉は雄弁だ。
自分が本当は何もしていないことを、「悩み続けた美しい話」に変える。
ふと我に返ると自分が滑稽に思える。
「お前は何を成し遂げた?」
子供を諭しながら、気づいたのは自分の不甲斐なさ。
子供に伝えていることは、自分が未だ成し遂げていない理想。
それに気づかせてくれ、そしてもう恐れ逃げないように導いてくれているのは
子供達だ。
恥ずかしいが、諭されているのは僕の方だ。
自分のあり方に無関心な親になりたくない。
僕は子供と共に成長したい。