梅ノ季節ニハ梅ヲミ サウイフモノニ ワタシハナリタイ
「忙しい」「忙しぃい」「イソガシイ!」
呪文のように子供の前で唱えている。
それを毎日毎日嫌でも聞かされる子供の気持ちは、きっとたまったもんじゃない。
逆の立場だったら多分キレている。
そんなわかりきった事を、平気で毎日している自分に嫌気がさす。
「おとうちゃん、これ一緒にやろう!」
「おとうちゃん忙しいのわかるだろ!?」
相手は子供だ。しかも我が子だ。我が子が何をした?
お前何様?
理想の父親像と現実の自分とのギャップを埋められず、いつも自責の念に苛まれる。
■イライラしている理由。本当は何?■
確かに子供達は言う事をきかない。だから手がかかる。
そもそも、なぜ言う事をきかせなければならない?
人に怪我をさせるなど倫理に反する事でないなら、子供は自由だ。
自分に余裕があったら、子供のする事など殆ど問題にならない程度だ。
じゃあ、なぜ余裕がない?
自問自答を繰り返す。
すると決まって問題は子供ではない。自分の中にある。
会社で嫌なことがあった。夫婦でもめた。やりたかったことができなかった。
子供は1mmも関係ない。関係ないのに突然怒られる。
「それ、お前のせいだろ?」と、子供達は言えない。
僕の中で絶対ルールが1つある。
「約束」と自ら発したことは、必ず守る。
そこに「忙しい」と言う言葉を使って約束を反故にした時点で終わりだと思う。
できないなら約束しなければいい。
保育園に行く途中に紅梅が咲いている。お兄ちゃんがインフルエンザで欠席の時、
ふと自転車を止めて「梅の花きれいだね」と弟くんと二人で見た。
それからそこを通るたび「ユメ、あるよ」と教えてくれる。
お兄ちゃんはほどなく回復。登園許可をもらいにかかりつけの病院に行く際、
「久々の外出だから少し散策しよう」と、のんびり自転車を走らせた。
するといつも通らない道に白梅が咲いていた。
弟くんに伝えると「みたい!」と言った。
「じゃあ、今度見に行こう。約束ね」
今日、その約束を果たせた。
忙しさにかまけて、大切なことを忘れないようにしたい。